三重苦。それはシギリージャ、パリージョ、バタ
私が最初にシギリージャを習ったのは、うろ覚えですが、フラメンコを始めて3年か4年経った頃だった気がします。
それも、バタとパリージョで踊るシギリージャが初のシギリージャでした。
ちなみに、バタも初めてでした。
パリージョは、セビジャーナスとファンダンゴ・デ・ウェルバでやったことありましたがが、その初のシギリージャ、初のバタの振付は、今私が生徒さんに教えている振付よりもパリージョが難しいものでした。
今思うと、「先生ったら、まだ初心者に毛が生えた程度の生徒に、何て難しいことさせてんのよ(^-^;」って思います。
でも、そんな初心者に毛が生えた程度の生徒にも、そんな難しいことをさせてくれる先生が好きでした♡
歌を聞いて踊るなんて知らなかった
初シギリージャの時は、シギリージャの歌の長さがその時々で伸び縮みするってことを知りませんでしたし、歌を聞いて踊るなんてことも知りませんでした。
ただひたすら、振りをなぞるので精一杯でした。
その上、シギリージャのコンパスがややこしくて、振りをなぞることすら青色吐息。
数こなすしかない。慣れるしかないと思った
初シギリージャを踊ってみて思ったのは、
「難しい」
でした。
でも、私、難しいからもう嫌だとはならなかったんです。
「こんなに難しいのだから、とりあえず数をこなして、慣れよう!」って思ったんです。
そこで、エル・フラメンコ(現在のガルロチ)に来てたスペイン人のクルシージョでシギリージャを習いに行きました。
フラメンコ歴3~4年の初心者に毛が生えた程度。
スペイン語、殆ど分からない。
シギリージャ、あまり理解してない。
初心者に毛が生えた程度じゃないよね。心臓に毛が生えてるってやつよね。
我ながら、なかなか逞しい練習生だったと思います(≧▽≦)
案の定、玉砕。
でも、へこたれてなくて、その後もスペイン人のクルシージョでシギリージャを受けまくりました。
今思うと、本当に分かるようになりたいなら、1つの振りをきっちりやったらいいんです。
その方が理解ができるようになる。
なのに私は、いくつもの振付を習いました。
「何がなんでも分かるようになってやる!」とは思ってなかったんですね。
「まあ、やってるうちに分かるようになるでしょ(*^-^*)」くらいの軽~い感じだったんでしょうね。
「分からない!難しい」とクラスメイトときゃっきゃするのも楽しかったのかもしれません。
そう。楽しかったんです。
軽やかに諦めない
「何がなんでも手に入れてやる!」というのは、私には重過ぎる。
何事も。
そこまでの目標意識を持ってしまうと、私は嫌になります。
目標オリエンテッドな人ではないのだと思います。
もうちょっと軽いのがいい。
「諦めずにやってれば、そのうちできるようになるでしょ」って思いながら、できなくても楽しくやってる位が丁度いい。
そんなこんなで今となっては、シギリージャは大好きなヌメロです。
「完璧にできるようにならなきゃ!」って思う必要はない。
「やるからには完璧にできないと嫌だ」となると、逆算してできるものに手を出すようになってしまいます。
そうじゃなくて、できなくても何でも、好きなものをやる。やりたいものをやる。
結果を求めず。
結果は後から付いてくる。
バタと言えば、マントンとバタのアレグリアスってイメージがありますが、それと肩を並べる位、パリージョとバタで踊るシギリージャってのも、ずばり王道、正統派。
でも、簡単じゃない。
でも、好きなら頑張ったらいい。
楽しく取組み続けてれば、ドンドン磨かれてくるし、目から鱗がこぼれる時もある。
このバタとパリージョのシギリージャの振りを習った生徒さんは結構多いですが、一人で踊れるようになった生徒はかなり少ない。
今のところ、一人で踊ったことのあるのは真佑子と英子ちゃんしかいない。
このシギリージャを大事に磨き続けてくれて、ありがとう。
この振りを習ったことのある他の方々も、「どうせダメだ」と考えず、「そのうちできる」と軽やかに、でも諦めないで取り組み続けて頂けたらと思います。
一人でなら、バタを履いててもタブラオで踊れますよ。
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