個性の時代がやって来る

(01)諸々

クラスの皆とレッスン後に頂戴いたしました。

あしたばのシフォンケーキを切り分けるリョーコ

4月は私の誕生月。

以前はFacebookで誕生日を公開してたのですが、
あまり誕生日を祝ってもらうというのが得意でなくて、
「おめでとう」を言うのはいいのだけど、言われ慣れてなくて、
どう反応したらいいのかと戸惑ってしまい、
このところ非公開にしてました。

ところが、うちの涼子がとある筋から私の個人情報を入手し、
何と、
「おめでとう(^^)/」
とケーキを焼いてきてくれました。

「普通じゃつまらない」
という一風変わった面白い涼子の作るケーキです。
普通とちょっと違いました。

旦那さんの赴任先・八丈島にいたことのある涼子。
なんと『あしたば』のケーキ。
あしたばの天ぷらは食べたことあったけど、
ケーキは初めて食べた。

サラダ油の代わりにごま油が使われてたり、
トッピングで胡麻がかかってたり、
甘すぎないおかず系ケーキ。
大変美味しゅうございました。

ホールケーキを作ってきてくれたので、クラスの皆とも一緒に食べました。

どうもありがとう。
とっても嬉しかったです(*^-^*)♡


さて、久々のレッスン動画です。
5人のクラスですが、1人はお休み、1人は動画NGとのことで、3人だけが映ってます。


今の40代、50代は、皆を枠の中にはめ込み、その中で優劣を競わされた世代。
枠からはみ出ると、『腐ったみかん』と言われた(by 金八先生の中の誰か)

だから親たちは自分の子供が枠から外れることを恐れ、何とか枠に納まるように神経を尖らせ、厳しく躾けをした。

枠の中の子たちは、優劣の優であっても、劣であっても、あまり大差がない。
無難。
一般的。
どこにでもいる。
皆と同じ。
皆と一緒。
どんぐりの背比べ。
没個性。
印象に残らない。

自然にしてて、ありのままで枠内にいるタイプの子たちはいいのだけど、ありのままでは枠の外に存在する子たちにとっては、とても苦しいことだった。
「超癖っ毛なのにストレートパーマで無理やり真っ直ぐにして、でも、すぐに癖が出ちゃう」みたいな感じ。

要は、本来の自分、ありのままの自分を否定され、自然体でいることを認めてもらえず、自分を偽り、枠の中の子のフリをしなければならなかった。

ああ、苦しい。
ああ、息苦しい。

感情を押し殺し、自分を殺し、皆と同じにふるまった。

目立たないように。
出る杭にならないように、打たれないように。

でも、今は枠の外にいるのは、『個性的』と言われる時代になった。
というより、昔にあった枠が広がった。
もしくは柵が低くなった。

これを多様性という。

本来、芸術というのは、個性を認める。
というより、個性的でなければ生き残れない。

それを時代が後押ししだした。

個性が強いというのは、強烈な強みになる。

人の強みというのはスペックではない。
人の強みというのは、その人の『人』の部分にある。
学歴・経歴・タイトルでもない。
収入でもない。
職業でもない。
後から付け足したものでもない。

その人が元々持っているもの。


押し殺してしまって、息をするのも苦しくなった自分の中の自分が表に出てきたがっている。

大人に押さえつけられ、矯正されてきた自然に出る、ありのままの本来の自分は、否定されるようなダメな子じゃなかった。
ただ枠に収まらなかっただけ。
その枠というのは、大人にとって都合の良い子供を作る為の枠。

本来の自分を取り戻し、ありのままの自分で自然に振る舞う助けに、フラメンコがなってくれればと思ってレッスンしてます。

本来の自分を舞台で出そう!

本来の自分が出た時に、その人は舞台で強い光を身にまとう。

私、ラムチョップや青カビのチーズとか、臭みのある食べ物、好き。
癖があるってのは、強み。

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