Pido a Jesus mio

(01)諸々

この前、受講したカンテクラスで習ったブレリアの歌詞

Se lo pido a Jesus mio 
(私はイエスキリストに願いごとをする)

Por la que paso’ en el huerto
 (あの畑で起こった出来事のせいで)

Te borre de mi sentido
 (私は彼を私の心から消してしまいたい)


ヒターノ(ナ)たちの置かれていた状況からそのまんまに解釈すると、畑仕事を請け負う日雇い仕事をしていたヒターナは、そこの主人から超ムカつく態度を取られた。
昔のことならば、もしかしたら鞭で打たれたかもしれない。
要は、奴隷と同じ扱いだったってことね。
そのことで彼女は主人を恨み、
「あんな奴、私の目の前から消し去って下さい。お願い、神様!」
と願っているのかもしれない。

と先生は解釈を教えてくださいました。

でも、歌詞とか短歌、俳句、詩の面白いところは、文字が少なく、事細かに詳細に説明していないが故に、読み手が勝手にイマジネーションを膨らませ、物語を作れるところ。

私はこの詩を読んで咄嗟に、
「この人が私の心の中から消えてくれたら、どんなに楽なんだろうか。
忘れてしまった方が、諦めた方が、私は幸せになれるのに、片時も頭から離れない程に、四六時中考えてしまう。
消えてくれない。」
そんな苦しい想いを歌った恋の歌のかと思いました。

「神様!私の頭から、彼を消し去って!」
と願っても、願っても、消えてくれない相手。

人はいいところだけ見て誰かを好きにならない。
ムカつくところがあるけど好き。
ダメなところがあるから好き。
条件が悪くたって好き。

これ、普通にあるある。

フラメンコはカンテが分かると、ほんと、もっと面白くなると思う。
(と、私が語れる程、分かってる訳じゃないんだけどね(^-^;)
ただ、私たちにはスペイン語の壁がある。
でも、その壁は、ちょっとずつ勉強していくことで、ほんのちょっとだけど、登れたりもする。
でも、ほんのちょっとでも分かってくると面白くなる。

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