降ってきた言葉
「目標があると頑張れる」
とよく言われるけど、それは厳密にはそうじゃないと私は思う。
頑張れる理由は、もっと人としての根源的なところにある。
それは、『一人だと頑張れない』ってこと。
見守ってくれる人、
応援してくれる人、
時に尻を叩いてくれる人、
失敗しても受け容れてくれる人、
そんな人たちがいるから頑張れる。
『目標』は、私にとっては、誰かと一緒にいる為の手段。
「いい舞台を作る!」というのは一見目標に見えるけど、本当の目標は、「いい舞台を作る!」という大義名分の元、誰かと一緒に何かができること。
気障な言い方をしてしまうと、そこには愛しかない。
うちの夫が割と長いこと出張で家にいません。
最初は、「やったー、亭主元気で留守がいい!」と喜んだ私。
ご飯も手抜きできる。
お弁当を買って済ませたり、外食する日々が続いてます。
たまにだと、これも悪くない。充電できる。
でも、ある一定期間が過ぎると、身体にも悪いし、身体もちゃんとしたものを欲するようになる。
だから、自分の為にご飯を作った方がいいと思う。
ちゃんとした私に戻りたくなる。
でも、頭で分かってても、中々作る気力がわかない。
ちゃんとできない。
今は舞台の予定がないから、練習もしないで済む。
となると、昼にレッスンがない日は朝寝坊もできる。
でも、「トラちゃん、みーちゃんがお腹空かせてる!」と思うと、起きられる。
自分の為なら、トイレを我慢してでも布団の中から出ないのに、トラちゃん、みーちゃんの為なら起きれる。
誰かの為に私が頑張ってるんじゃなくて、誰かが私に気力を与えてくれていることに気付いた。
誰かが一緒でないと、私はとても堕落してて、ちゃんとした私になれない。
誰かと一緒じゃないと頑張れない。
ちゃんとできない。
ドンドン堕ちて行く。
ご飯すら作れない。
起きることもままならない。
練習もできない。
そんな自分が自分の中にあることは、恥だし、かっこ悪いし、認めたくないところだけど、認めてみることにした。
「自分のことは自分でする。
依存しちゃダメ。
皆、自分のことで精一杯」
相手の状況を聞き分け良く理解し、そんな風に、無理に自分の想いを押し込めてしまうことがある。
「仕方ない」
それが口癖になってしまう。
嫌われたくないから。
だから自分の中に押し込めてしまう自分がいる。
でも、その行為は、皆、知らない間にやっている。
何故なら、「嫌われたくない」なんて考えるような、みじめで、情けなくて、かっこ悪い自分を認めたくないから。
私は一人では頑張れない。
ちゃんとしてられないし、立ってられない。
支えてくれる人、一緒にいてくれる人が必要です。
一人では立ってられなくて、誰かと一緒にいたくて、もろくて、繊細で、弱い自分を認めると、心の底から温かいものがこみ上げる。
一緒にいてくれる人たちに、心からの感謝の念を感じる。
強がってばかりで可愛げがないにも関わらず、いつも側にいてくれてありがとう。
一緒の舞台に立ってくれて、ありがとう。
あなたたちがいないと、私は強くあれません。
認めたくないダメダメな自分を認め、
大丈夫な振りして強がる天邪鬼を止め、
そこにある愛を全て受け取れる私になりたい。
来年の目標であり、人生をかけた目標。
あなたたちがいてくれて、私、とっても幸せ。
一人では頑張れない私は、皆と一緒にできる舞台をまた来年も作っていきます。
コメントを残す