Tranquila 落ち着く
舞踊団公演にしろ、発表会にしろ、教室がらみのイベントでは、曲数は10曲くらいある。
ムシコス(ミュージシャン)たちは大変。
私は、ムシコスたちが覚えないと成り立たない、作り込んだフラメンコをあまり好まない。
フラメンコの良さが減ってしまうから。
でも、生徒の能力的にどうしても踊りではやりきれず、ちょっと作り込んだ構成をすることで何とか1曲を成り立たせることがある。
もう、この辺はビジネス。
生徒さんを楽しませることで生活の糧を稼いでいるので、ジレンマだけど、割り切るしかない。
その場合、どうしても、ムシコスたちに覚えてもらわないことが出てくる。
申し訳ないと思うけど、ムシコスたちも仕事としてやってるプロなので、私の置かれている状況を理解し、引き受けてはくれる。
でも、限度がある。
CDじゃないんだから、覚えるにしたって、限度がある。
発表会は今度の12月で、なんと16回目だそう。
舞踊団公演は7回目。
それだけやってみて気付いたことがある。
「踊りは振付通りにちゃんと踊ってた。でも、ムシコスがミスした。覚えてくれなかった。」
本番後によく聞く言葉。
「あの人は覚えないから」
「あの人はスペイン人で自由だから」
それもよく聞く言葉。
でも、私、ふと思った。
本当にそうなんだろうか。
本当に、単純に、ムシコスがミスったのだろうか。
そこで、過去にバタバタした群舞を頭に浮かべてみた。
「踊りはちゃんとやってたのに、ムシコスにミスされちゃったり、アクシデントが起きちゃった」
という人たちには共通点がある。
それは、
「ムシコスのミスを踊り手が誘発している」
という共通点。
誘発していることは、踊り手からは気付きにくい。
ムシコスもイチイチ弁明しない。
だから、
「あの人は覚えない」
と言ってしまいがちだけど、そう一言に断罪してしまうことの罪なこと。
違うよ。
ミスを誘うような踊りをしたんだと思う。
(注:うちの生徒の話をしてます)
私も含め、バックにミスされる時って、誰でもメンタル面に共通点がある。
それは、『気が散ってる』という精神状態。
集中してない。
そわそわしている。
落ち着いていない。
いっぱいいっぱいになってる。
頭に血がのぼってる。
気が散ってる。
そんな状態は、人に伝染する。
特に、アルティスタなんて人たちは、生まれてくる時に感覚という名のアンテナの出力を大き目に設定してきているので、相手の感情や状態を拾ってしまう。
落ち着きがなく、そわそわしている踊り手のバックで演奏するムシコスたちは、その落ち着きのなさ、そわそわも受信している。
落ち着きがなく、そわそわしてて、浮足立ってて、気が胎になく、血が登ってしまっていて、ふわふわしてて、気が散ってしまったら、ミスを誘発してしまうのは仕方ない。
踊りは、スタジオで技術だけ磨いたってダメ。
技術力を高めたって、上手く行かない人は上手く行かない。
それは、技術力の問題だけじゃないってことを意味する。
メンタル。
兎に角、落ち着く。
集中する。
浮足立たない。
それができたら、ムシコスにミスされることも減るんじゃないかと思います。
余談ですが、私は、私がパルマを叩かないと生徒の踊りが成り立たないような教えはしていないし、したくない。
振付をした人がパルマを叩き、横でカンテやギターに指示を出さないと、生徒が通して自力で踊れないって、もうフラメンコじゃないでしょ。
それは、本番の舞台を踏む前に、生徒に叩き込むところだと思う。
だから、私が生徒の為に本番でパルマを叩くことは、ほぼほぼない。
それに、私よりパルマが上手い人は沢山いるんだから、その人たちを雇った方がいい演奏になる。
何も私が叩かないでもって思っちゃう。
生徒たちには、先生のパルマなしでも踊れる人であって欲しい。
落ち着いたらきっとできる。
落ち着いたら、ムシコスのミスを誘発しないで済むし、先生に依存する必要もない。
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で、こんだけ言っときながら、この前の公演でパルマを叩きました。
でも、絵としてのお飾りパルマです。
パルメーロとしての役割はこれっぽちも果たしてなくて、額縁に入れて絵になる為だけにやったパルマでした。
私の思惑通りの写真が出来上がり、私、ご満悦。
(写真:荻久保次郎)
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