よく頑張った

(01)諸々

既に出来上がった集団の中に入って行くのって、ものすごく勇気がいる。

自分が未経験のド素人で、未経験者向け入門クラスに入り、そこで0からフラメンコを始め、入門クラスで知り合ったクラスメイトと一緒にできることを増やし、後輩として集団に参加し、経験年数も増やし、徐々に中堅、ベテランと階段を上がっていけるならそんなに勇気もいらない。
でも、途中から入るのは中々の勇気がいる。

先生をやってるとか、キャリアが違うとか、明らかに舞踊団員との差があるのであれば、『ゲスト』としてあげることができるけど、そんなに差がない場合は、ゲストとして扱ってあげれない。
そんなことしたら、うちの舞踊団の子たちが納得しない。
彼女たちが納得する程の差がないのであれば、にわか舞踊団員だったとして、舞踊団員の扱いをすることになる。

「同じ扱いなのだけど、同じじゃない。異質」
ってのは実は楽ではない。

タブラオのように、皆が知り合いのようで、皆が友達のようで、でも、皆ができあがった輪の中に入るのではなく、皆で仮初の輪を作り、その日のうちにその輪は解散ってのだったら、たかだか1日のことだから大したことない。

舞踊団公演は数ヶ月から半年にかけて行う。
関わり続ける期間は長い。

その上、叩き上げの舞踊団員たちは、何度もそこの公演に出ているから勝手が分かっている。
新しく振付がされたとしても、1つ1つのパソは、これまでに習ったものだったりして、馴染みがあるからさっと覚えられる。
そして、一緒に踊るメンバーはもう馴染みの人たちだから、分からなければ教えてもらうことも容易に頼める。

外から新たに入る子たちは、内部の子たちと同じ位のレベルにいたとしても、その何倍も努力しないと、そこではついていけない。

そして、外部からの目も厳しい。

私の生徒であれば、上手くできてなくても、
「舞台に出すことで育ててるのね」
と周囲の人たちは思ってくれる。
自身の名前ではなく、『〇〇先生の生徒さん』という扱いの時は、外部からの風当たりは強くない。
「あの子、毎回、良く頑張ってるよね」
って応援してもらえる。
「叩き上げだし、教室内でのバランスとかがあって、その上でこの配役だったんだろうな」
って、内情も察してももらえる。

ところが、外からポッと出の子はそんな風には思ってもらえない。
「なんであの子が?」
とまずは思われる。
純粋に、
「内部に他にもいるのに、なんであの子なんだろう?」
って疑問はあると思う。
そして、それ以上の想いもあることもある。
ここでキャリアがあるとか、別格であるとかなら、
「何で?」
とは思われない。
突き抜けてない段階の時には、この「何で?」がものすごく強い向かい風となる。

だから舞台は強くないと立てない。

だから舞台に立ってると強くなる。

でも、そいういう立場で出る子たちは、多分、何も考えてない。
ただ、踊りたいだけ。
ただ、舞台に立ちたいだけ。
それにより周囲からどう思われるかよりも、踊りたいって気持ちが先んじる。
とても真っ直ぐで純粋。
周囲からどう思われるかを気にする人は、人と違ったことはできない。

私はとある大先生に、
「悪口言われる位じゃないとまだまだよ!」
と豪快に言われたことがある。
本当にその通りだと思う。

人は、取るに足りない人のことは悪く言わない。
自分の近くにいる存在は脅威だから、素直には褒めれない。
だから、褒められているうちは、まだまだって、私はつくづく思う。

「大変だったろうな」って感じに、労いの褒め方をされることはあるとは思います。
だとしたら、それを言ってくれた人たちは、気持ちに寄り添ってくれてる良き友です。

うちの舞踊団の子たちは、この子の勇気を称え、踏ん張りを認めてる。

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良く頑張ったと思う。
良く踏ん張ったと思う。

並大抵の子なら尻込みし、泣きが入るような状況にも関わらず、軽々と明るくやってるように見せてたのは天晴。

踊りは、舞台に立ち続けてれば自然と上手くなっていく。
周りの目なんか気にしないでいい。
突き進め!

ただ踊りたい。
ただ舞台に立ちたい。

ただ、自分らしくいたい。

その純粋な想いは、ずっと持ち続けてもらいたいと心から切に願います。

(写真:荻久保次郎)

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