【舞踊団公演】ファルーカ・身分違いの妻を持て余した男

(03)舞踊団公演

ソレア、タンゴ、カルタヘネーラ、タラント、ガロティン、カラコレス、禁じられた遊び、ティエントに続き、舞踊団公演9番目の演目はファルーカです。
伊藤伝右衛門を演じるドミンゴがソロで踊ります。

大正天皇と血縁関係にある身分違いのお姫様・白蓮を金で買うかのように花嫁に迎えたはいいものの、伝右衛門は白蓮を持て余します。
伝右衛門は、何をしても不満気で、不機嫌そうな白蓮をどう扱ったらいいのか困りました。
生まれも違う、育ちも違う、世代も違う、東京と九州で言葉も習慣も違う。
伝右衛門がこれまで接してきた女たちとは、白蓮はあまりにも勝手が違いました。
伝右衛門は伝右衛門なりにできることはやってあげようとしたみたいです。
白蓮の歌集を自費出版する費用を出してあげました。
当時、自費出版は破格だったようです。
別府の別邸に行ったきりでも、好きにさせてあげてました。
何をしてあげれば満足なのか、どうしたら喜んでもらえるのか、楽しそうに微笑んでくれるのかが分からなかった伝右衛門は、白蓮が望むままに自由にさせてあげました。

でも、白蓮はいつでも不満気で、いつでも不機嫌で、いつでも浮かない顔をし、伝右衛門に心を開くことはありませんでした。

安定した生活を与えてくれる実直で言葉少なげな男よりも、甘い言葉をささやく男になびいてしまうことが、女には往々にしてある。
例え、それが嘘でも、その言葉に責任を取らない無責任さがあったとしても、女は甘い言葉を囁く男に弱い。

馬鹿だな、伝右衛門。
そんな大金を湯水のように使わせてあげなくたって、ただ一言、「愛している」と言えば良かっただけなのに、って私は思う。
白蓮の金遣いの荒さは、愛がなく満たされない心を満たす為のストレス発散に過ぎない。
マリー・アントワネットと同じ。

伝右衛門は人格者だったのではないかと私は推測しています。
ただの無学の一炭鉱夫から、筑豊の炭鉱王と呼ばれるまでのし上がれたというのは、馬鹿ではできない。
最初から恵まれた家庭に生まれた人よりも、かなりの努力と英断をしてきたでしょうし、気力溢れる人じゃないと人の上には立てない。
そして、自分で会社を興し、人を雇うとなったら、その従業員たちの生活に対する責任も生じる。
誰だって、責任感のないやつに自分の人生は預けない。
伝右衛門について行った人が多かったってことは、伝右衛門は人望厚い人だったのではないかと思う。

「愛している」と言えない伝右衛門は、軽く愛を囁ける間男・龍介に妻を取られてしまう。

言葉にしないと伝わらないけど、言葉にしないからそこに愛がない訳ではない。
ただ、伝右衛門の愛は白蓮には伝わらなかった。

「こんなにしてやっても、それでも俺の愛は伝わらなかったのか」
と伝右衛門は己の不甲斐なさを嘆きます。
そして、白蓮のいなくなった彼女の部屋には、伝右衛門が初めて白蓮に会った時に贈った服が残されていました。
何もかも捨てて出て行った白蓮の意思を、その残された服が表していました。

伝右衛門は、その服を抱きしめ、白蓮を想いながらファルーカを踊ります。

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