メ・ダ・イグワル
群舞で踊るとなると、
「センターじゃなきゃ嫌だ!」
という人もいると思います。
そこまで強い想いがなかったとしても、
「やるからには、センターを狙いたい」
「できたら、センターで踊りたい」
というのが
踊りをやる子にとって普通かと
私は思ってました。
そうじゃない人がいたとしても、
「まあ、そういう人もいるよね」
位にしかいないと思ってました。
でも、予想外なことにうちの生徒たちは、
「センターじゃなくていい」
という人が多い。
「へぇ、そういうもんなんだ。欲がないんだね~」
と私が呟いたら、
「そういう生徒だと物足りないですか?」
とある生徒が尋ねてきました。
「いいえ」
先生の本音を言うと、
どちらでも、生徒さんたちが心地よい方でいいです。
「私が、私が!」
と前に出る生徒も好きです。
「私はいいから・・・」
と後ろに引いてしまう生徒も愛らしく思ってます。
センターやソロで踊るのはとても栄誉あることだけれども、
人によっては、
『荷が重い』
と感じます。
真面目な人程、感じます。
きちんと練習をし、それなりにできている人程、そう感じます。
舞台があると、
「どうせ出るなら、1曲よりたくさん出れた方が楽しいでしょ!」
と私は生徒に出血大サービスをしてしまいます。
私は良かれと思ってやることですが、
生徒からしたら、
「大変過ぎて楽しむどころじゃない」
と戦々恐々とします。
こういうことは多々としてある。
教室を開き、
生徒を持ち、
色々な人の価値観に触れ、
「私の物差しでは考えられないものだ」
と実感しています。
「あの人は、あまり他人に興味ない。
自分のことだけしか興味ない。
人と一緒に練習するとかより、
自分で自分の練習をしたいみたい」
とちょっとネガティブ気味に
ある人がある人のことを言ってたことがありました。
でも、私には、
「え、踊りをやる子って、皆、そんな感じなんじゃないの?」
と思えました。
「そうか、物差しが違うのか」
と思いました。
他人に興味を持たないことは、
言う程ネガティブなことじゃない。
むしろ、ポジティブ。
良いことです。
皆、自分の人生を生きているので、
誰だって、他人のことに興味を持ってる暇はありません。
自分のことをやるので精一杯です。
たまたま、自分のやりたいことと同じだったり、似てたり、
見ている方向が一緒だったり、
一緒にいてお互いのやりたいことが成り立つ関係の人と
楽しい時間を共有できればいい。
見ているところが違ったら、離れればいい。
のんびりやりたい人もいるし、
それじゃ力が余っちゃう人もいる。
沢山踊りたい人もいるし、
1曲でも大変って人もいる。
ソリスタ(ソロ、センター)は荷が重いと感じる人もいるし、
そこを目指す人もいる。
どちらでもいい。
どちらもいいから、周りに引きずられず、
自分の心地よく感じる方を選んで欲しい。
他人に対して、興味を持ちすぎて、
相手の一挙手一投足にまで気になり、
重箱の隅を楊枝でほじくるようなことする位ならば、
自分のことで精一杯な位、
自分の人生を生きた方がいい。
前述の、
「あの人は他人に興味がない。自分だけ」
とネガティブ気味に言った人は、
多分だけど、それは、その相手のことを言ってない。
多分だけど、自分のことを言っている。
その人の物差しで測ると「ダメ」とされる
自分の中にあるものを相手の人が持っていて、
それを相手の人が気にせず表に出すから、
その人はつい目が行ってしまって気になるのだと思う。
自分の中の、「ダメ」としているものがダメじゃないんだと思えれば、
相手のことは気にならなくなる。
例えば、
「先生にため口で話すのは非常識」という物差しを持ってる人が
先生にため口で話す人を見たら、
「なんて非常識な!!!」と思う。
でも、それは物差しを替えれば、
「親しみがある」と変わる。
「なんて非常識な!!!」と思った人は、
自分の中にそういう要素があって、自分で蓋をしている。
「他人のことに興味がない。自分のことで精一杯」
私はそういう人は好きです。
余計なことに首を突っ込まないし、
揚げ足取りもしないし、気が楽です。
「先生がやれっていうから」
と責任を先生に持たせる人よりも、
「私、それ、やりたいです!」
と自ら手を上げれる人が好きだし、
先生の顔色を窺わず、
「私、1曲で十分です。
センターは荷が重いので、後ろで楽しく踊ってます」
ケロっと、自分を主張できるのは素敵なことだと思います。
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