感じ方、文化・風習、哲学をフラメンコな人から感じ取る

(07)スペイン

昨日から頭痛がひどくて、
タンゴ・デ・グラナダの動画を撮った時も
頭がグワングワンしてて、
強くレマタールできずにいましたが、
夜中から更にひどくなり、
薬を飲んで、
今日は一日中、布団の中にいました。
病気にならないと休んでられないので
いい休養になりました。

夜になっても頭痛が収まらないのですが、
今日はマリアのオンラインレッスンがある日なので、
夜9時半から1クラス目を見ました。
今、2クラス目に入る前の休憩時間です。
後でYoutubeに録画を上げてくれるので
後から見てもいいのですが、
やってみてわかった。
録画って後からいつでも見れると思うと
ついずるずるしてしまいます。
そして、なんか、ちょっと寂しさがあります。
やっぱり、「今!」という時を共有しながら受講したいので、
無理してでもリアルタイムで見れるなら見るようにしてます。

1クラス目はシギリージャでした。

踊りはなし。

振付も習わず、
マリアのシギリージャに関する想いを聞き、
その後、アントニオ・マレーナがやってきて、
歌を聞かせてくれました。

フラメンコという踊りは、
フラメンコな人から
その人の感じ方、哲学を聞くというのが大事になります。
その人の体験談を交えた話を聞かせてもらうことも
とても有益です。

それなしに振付だけを踊っても
フラメンコに近づけない。

テクニカは大事です。
でも、フラメンコはスポーツではない。
オリンピック競技のように技の競い合いではない。

どのように歌を感じるか。
どのようにそれを外に出していくか。


フラメンコな人たちから
それを学びます。


マリアは言います。

「へレスの子供たちは、
振付を学ぶ前にテクニカを学ぶ。
それができてからの振付だ。

テクニカを学ぶ前に、
既に歌を知っている。

だから、テクニカを学び、
振付を覚えたら踊れる。


歌を知らずに、
何を感じて、
何を表現するのだ」

と。


マレーナがシギリージャの歌を歌い、
マリアは泣いていました。
マレーナも泣いていました。

驚いたことに、他の受講生も泣いていました。


私は泣けませんでした。


こういうことって、
スペインでレッスンを受けてて、
何度か経験があります。
欧米の生徒は泣けるけど、
日本人は泣けない。



スペイン語の問題もあるかもしれませんが、
それよりも、殻を破れないんだろうなって思いました。

照れがある。

純粋にその世界に入り込めない。

理屈だとか、
振付だとか、
テクニカだとか、
色々なことを考え過ぎる。


フラメンコって
芸術って
もっとシンプルで純粋で、
そういう心で感じるものなのかもしれない。


日本人の踊りは、
振付を覚えるのも速いし、
完璧だし、
テクニカも良くできる。
でも、ロボットみたい。
心のないロボットみたい。
と言われることは多い。


私たちは感じるということが苦手なのではなく、
感じているものを外に表現するのが弱い。

スペインの先生から
欧米の生徒たちと一緒に学ぶことで、
日本人が欠落してしまってるものに
気付かされます。
「日本の外に出ると、日本を知る」
という正にそれです。

フラメンコを踊るには、
歌も知らない。
スペイン語も良く分からない。
子供の頃からやってる訳じゃないのでテクニカも足りない。
その上、文化、風習が違い、生活様式も表現も違うから、
ちょっとしたしぐさも表情も違う。

そして、感じたものを表現するのも異なる。


私たちには遠い文化の踊りだということが
良く分かります。


だからこそ、スペインの先生から習い続けます。

そして、スペインの先生から習い、
「なるほど!」
と思ったことを生徒さんに伝えていきます。


フラメンコは振付を覚え、
テクニカができるようになっただけで
踊れる舞踊ではないと思うから
それを学び、伝えていきます。


さて、2クラス目が始まります。
タンゴです。

タンゴは、少し気楽に受けれます。




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