再会
人生って何がどう繋がっているか分からないものだって、つくづく思う。
2008年9月から2009年8月まで、スペインはセビージャに行っておりました。
出発前、どこの教室に行くか、誰に習うかは決めておらず、とりあえず向こうに着いてから探すことにしていました。
さて、私がセビージャに着いて最初に習いにいったのは、エル・トロンボでした。
長くいることだし、ちょっと生活に落ち着くまでは振付じゃなく、パルマだとかマルカールだとか、そういう基本的なことを習いたいと思いました。
振付は日本人でも習える。
けれども、パルマとか、コンパスとか、フラメンコの根源的なものになればなる程、スペイン人、それも、スペイン人の中でもそういうものに傾倒している人でなきゃ習えないように思う。
トロンボは、振付は教えない。
その日の気分で色々なことをやる。
けど、とっても大事なパルマ、マルカール、理論を教えてくれた。
日本では中々習えないものを教えてくれた。
フラメンコのコンパスって、とんがってないでまあるいんだって体感させてくれたのはトロンボだった。
ところが、トロンボの話は長い。
ずっとしゃべってる。
日本を発つ前にスペイン語の勉強をしていったものの、日本で習えるスペイン語はカスティジャーノ(標準スペイン語)。
でも、セビージャで話されているのはアンダルー(アンダルシア弁)。
「コモ・エスタス?(how are you?)」なんて言うアンダルーはいない。
「コモ・エッター?」と言う。
全く違うものに聞こえる。
スペイン語を聞きとるだけでも大変なのに、それを更にアンダルーに変換するなんて、当時の私には神業!
「何言ってるんだか、ちっとも分からな~い」って状態でした。
一生懸命にリスニングしようとするのですが、集中力が続かず、ふっと意識が遠ざかる・・・。
フラメンコに集中というよりは、スペイン語に集中したスペイン留学初期でございました(南無~)。
「もうちょっとスペイン語ができてからもう一度来よう」
と思って、トロンボのところは1週間くらいで早々に辞めてしまい、ファナ・アマジャのところに移りました。
ファナは黙々と踊りのレッスンをしてくれるので助かりました。
さて、トロンボのクラスには、日本人の男性2人と日本人の女性が1人いました。
3人とも長期に滞在していて、私が行った時点で2人はもう4年位スペインにいて、もう1人は10年位とか言っていました。
着いてすぐの右も左も分からない私。
既に生活のできあがってる3人。
私の記憶の中では、そんなにその3人と仲良くした記憶がない。
普通にレッスンを受け、普通に帰り、町で偶然会えば、「久しぶり」と挨拶はする程度。
セビージャに着いてすぐの頃は、友達もいなく、知り合いもいなく、日本語を話す人も周りにいないで、
「ああ、孤独だな」
と思っていました。
さて、ちょっと前に、ひょんなことから、その3人のうちの1人の男性と縁が繋がり、
「初めまして」
とメッセが来たのだけど、
「トロンボのクラスで一緒だったよ!」
と伝えたら、
「あ、思い出した!プラサ・ペリカーノでお茶したね!」
と言われ、
「そういえば、私、この人たちとお茶したことあるかも!」
と思い出しました。
仲良くした記憶がなかったけど、実は仲良くさせてもらってたようです(^^;)
9年も前のことです。
今日、その人と会ってお茶しました。
再会です。
色々な話をして、とても楽しかった。
ただ、私の思ってた感じとちょっと変わってて、もっとやんちゃな印象があったのに、すごく落ち着いていて、9年の歳月を感じました。
お互いに、世間にもまれて、丸くなった。
これが大人になるということか・・・。
実は、ちょっと前に彼の踊りを見て、
「むむ、今度の公演の〇〇役にぴったり!!!」
と思い、目を付けました。
それで、話を持ち掛け、会って話そうってことになり、今日の再会となりました。
ということで、その方も来年2月の公演に出てくれることになりました。
池森暢昌さんです。
ノブです。
皆さま、お見知りおきの程を。
6月中に決めなくてはと動いていた出演者ですが、これにて、全員が決まりました。
こういう公演に出てくれる生徒さんに対しては、私以外の人からも習う機会を作りたいと考えています。
なので、ノブのレッスンも組んでいきます。
エル・トロンボの秘蔵っ子だったノブだからこそ教えられるものがある筈です。
そして、生徒のレベルを底上げして、2月公演に臨みます。
2月公演でご一緒できるのが楽しみです。
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