Ángel Muñoz XXI Festival de Jerez
へレス・フェスティバル10日目のビジャマルタ劇場での公演は、アンヘル・ムニョスでした。
アンヘル・ムニョスは、毎年へレス・フェスティバルのクルシージョも担当しています。
私は彼のレッスンは受けたことがないので分かりませんが、リピーターも多く、すぐに満員になってしまうし、評判の良い先生のようです。
彼の公演を見たのはこれが二回目でした。
公演の最後のカーテンコールでは、クルシージョの生徒さんたちが舞台まで駆け寄り、花束を贈っていました。
前回の公演でも見られた光景でした。
他にもクルシージョを担当し、さらに公演も行う先生っているけれど、こういう光景を見たのはアンヘルだけだ。
よっぽど、生徒に慕われている先生なんだろうなって思って見ていました。
先生としていい先生が、必ずしも生徒に慕われるとは限らない。
生徒に慕われる先生ってのは、情に厚かったり、生徒と距離が近かったりする人だと思うけれども、それが逆に指導する上では邪魔になることがある。
むしろ生徒と距離があり、ドライな位の先生の方がレッスンは滞りなく行われ、秩序も守られ、生徒も変な振る舞いをしなくなる。
どういうことかと言うと、ドライな先生は落ちこぼれる生徒がいても、そのクラスのレベル設定どおりに振りを進め、振付を期間内に完成させるべく粛々とレッスンをしてくれる。
ドライだから、生徒が落ちこぼれてきても、「ちゃんと練習しなさい」と言ってあげたりしない。放っておく。
それは生徒の自己責任だし、わざわざ注意するのは気力がいるし、気力を絞ってまでして言ってあげる程、その生徒に情はないということ。
その代わり、クラス内に置いておいてくれる。
存在することは許してくれる。
けど、その人たちのことは見ていない。座敷わらじと同じ扱い。
非常にドライ。
情の厚さをレッスン内では見せないので、生徒もその先生には甘えられない。
だから、レッスンは滞りなく進む。
先生が情に厚い人だったり優しい人だと勘づくと、生徒というのはすぐ様つけ入る。
ピーチクパーチク言い出す。
レベル設定を外れた生徒までもが、受講している権利を主張しだし、レッスンは進まなくなる。
そうすると、レベル設定に合った、まともな生徒たちが割を喰う。
優しい先生ってのも、良し悪しなんだと思う。
生徒につけ入る隙を作らない先生ってのは立派だと、色々な先生のクルシージョを受けると思う。
但し、そういう先生はすごく割り切っているから、笑顔で挨拶はできても、心の交流は感じられない。
けど、レッスンは滞りなく進む。
アンヘル・ムニョスのレッスンは受けたことがないので分かりませんが、ここまで生徒から慕われるってことは、ドライな先生ではないんじゃないかと思います。
温かい心の交流を感じられるからこそ、生徒はリピートするし、先生の舞台があれば花束をもって駆けつけます。
けれども、彼のレッスンの進め方が悪いって話は聞いたことがない。
振りも完結するって言われてたような記憶があります。
いったいどういうやり方しているのでしょう。
彼の生徒への接し方、教え方を学ぶって意味では、レッスンを取ってみたい先生です。
けど、へレス・フェスティバル、何度も行ってるのに、彼のクラスは取ったことがない。
なぜなら、彼の踊りにあまり興味がないから。。。(^^;)
致命的・・・。
いえ、下手じゃないです。
彼なりの世界観があるのも舞台を見て分かります。
けど、私が心惹かれる感じじゃないんです。
だから、受講するクルシージョをどれにしようか候補には上がるのですが、いつも落選します。
今回の舞台も、最初は苦しかった。。。。
もう、私にとってのフラメンコじゃないの。
ギターがなくて、機械音がメトロノームのようにずっと鳴り響くの。
そこに、黙々とサパテアードをするアンヘル・・・。
ギター以外の楽器は出てくるのだけど、ギターは全然出てこない。
カンテも出てこない。
「ああああ、苦しい」
と思ってみてたら、やっとカンテが出てきた。
そして、そのカンテさんがギターを弾きながら歌いだした。
「なんと、フラメンコの公演でありながら、プロのギタリスト不在の舞台なのか!!!」
と驚いた。
それも、一つの表現方法。彼の世界。
ただ、これを見て私は思った。
オーソドックスで、昔からある普通のフラメンコに、スペインの人たちは飽きているのかもしれない。
だから、バイオリン、コントラバス、サックス、ハーモニカ、アコーディオンなどなど、色々な楽器をフラメンコに取り入れている。
けど、やっぱりフラメンコはギターだ。
ギターだけで足りないことはない。
敢えて変わったことをしなくても、フラメンコは十分魅力的なのに。
そんな風に思った。
但し、この公演を見てフラメンコを見た感じはしなかったのですが、アンヘル・ムニョスの世界観はすごく伝わった。
それが好きか嫌いかとかは別として、アンヘルの世界は見えた。
そして、見ていてすごく苦しい公演だったのに、終演後に妙な爽快感があって、
「ああ、これがこの人の人柄なんだろうな」
って思った。
彼に限らず、真っすぐで、素直で、純粋で、いい人の舞台ってのは、見た後に必ず爽快感がある。
だからすごく印象に残ってる。
もろフラメンコというものを伝えていきたいのか。その為の公演なのか。
もしくは、フラメンコというツールを使って、自分というものを表現していきたいのか。その為の公演なのか。
きっとこの公演は後者。
だとしたら、この公演は成功なのかもしれない。
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