Ángel Muñoz XXI Festival de Jerez

(07)スペイン

へレス・フェスティバル10日目のビジャマルタ劇場での公演は、アンヘル・ムニョスでした。

アンヘル・ムニョスは、毎年へレス・フェスティバルのクルシージョも担当しています。

 

 

私は彼のレッスンは受けたことがないので分かりませんが、リピーターも多く、すぐに満員になってしまうし、評判の良い先生のようです。

彼の公演を見たのはこれが二回目でした。

公演の最後のカーテンコールでは、クルシージョの生徒さんたちが舞台まで駆け寄り、花束を贈っていました。

前回の公演でも見られた光景でした。

他にもクルシージョを担当し、さらに公演も行う先生っているけれど、こういう光景を見たのはアンヘルだけだ。

よっぽど、生徒に慕われている先生なんだろうなって思って見ていました。

 

先生としていい先生が、必ずしも生徒に慕われるとは限らない。

生徒に慕われる先生ってのは、情に厚かったり、生徒と距離が近かったりする人だと思うけれども、それが逆に指導する上では邪魔になることがある。

むしろ生徒と距離があり、ドライな位の先生の方がレッスンは滞りなく行われ、秩序も守られ、生徒も変な振る舞いをしなくなる。

どういうことかと言うと、ドライな先生は落ちこぼれる生徒がいても、そのクラスのレベル設定どおりに振りを進め、振付を期間内に完成させるべく粛々とレッスンをしてくれる。

ドライだから、生徒が落ちこぼれてきても、「ちゃんと練習しなさい」と言ってあげたりしない。放っておく。

それは生徒の自己責任だし、わざわざ注意するのは気力がいるし、気力を絞ってまでして言ってあげる程、その生徒に情はないということ。

その代わり、クラス内に置いておいてくれる。

存在することは許してくれる。

けど、その人たちのことは見ていない。座敷わらじと同じ扱い。

非常にドライ。

情の厚さをレッスン内では見せないので、生徒もその先生には甘えられない。

だから、レッスンは滞りなく進む。

先生が情に厚い人だったり優しい人だと勘づくと、生徒というのはすぐ様つけ入る。

ピーチクパーチク言い出す。

レベル設定を外れた生徒までもが、受講している権利を主張しだし、レッスンは進まなくなる。

そうすると、レベル設定に合った、まともな生徒たちが割を喰う。

優しい先生ってのも、良し悪しなんだと思う。

生徒につけ入る隙を作らない先生ってのは立派だと、色々な先生のクルシージョを受けると思う。

但し、そういう先生はすごく割り切っているから、笑顔で挨拶はできても、心の交流は感じられない。

けど、レッスンは滞りなく進む。

 

アンヘル・ムニョスのレッスンは受けたことがないので分かりませんが、ここまで生徒から慕われるってことは、ドライな先生ではないんじゃないかと思います。

温かい心の交流を感じられるからこそ、生徒はリピートするし、先生の舞台があれば花束をもって駆けつけます。

けれども、彼のレッスンの進め方が悪いって話は聞いたことがない。

振りも完結するって言われてたような記憶があります。

いったいどういうやり方しているのでしょう。

彼の生徒への接し方、教え方を学ぶって意味では、レッスンを取ってみたい先生です。

けど、へレス・フェスティバル、何度も行ってるのに、彼のクラスは取ったことがない。

なぜなら、彼の踊りにあまり興味がないから。。。(^^;)

致命的・・・。

いえ、下手じゃないです。

彼なりの世界観があるのも舞台を見て分かります。

けど、私が心惹かれる感じじゃないんです。

だから、受講するクルシージョをどれにしようか候補には上がるのですが、いつも落選します。

 

今回の舞台も、最初は苦しかった。。。。

もう、私にとってのフラメンコじゃないの。

ギターがなくて、機械音がメトロノームのようにずっと鳴り響くの。

そこに、黙々とサパテアードをするアンヘル・・・。

ギター以外の楽器は出てくるのだけど、ギターは全然出てこない。

カンテも出てこない。

「ああああ、苦しい」

と思ってみてたら、やっとカンテが出てきた。

そして、そのカンテさんがギターを弾きながら歌いだした。

「なんと、フラメンコの公演でありながら、プロのギタリスト不在の舞台なのか!!!」

と驚いた。

それも、一つの表現方法。彼の世界。

ただ、これを見て私は思った。

オーソドックスで、昔からある普通のフラメンコに、スペインの人たちは飽きているのかもしれない。

だから、バイオリン、コントラバス、サックス、ハーモニカ、アコーディオンなどなど、色々な楽器をフラメンコに取り入れている。

けど、やっぱりフラメンコはギターだ。

ギターだけで足りないことはない。

敢えて変わったことをしなくても、フラメンコは十分魅力的なのに。

そんな風に思った。

 

但し、この公演を見てフラメンコを見た感じはしなかったのですが、アンヘル・ムニョスの世界観はすごく伝わった。

それが好きか嫌いかとかは別として、アンヘルの世界は見えた。

そして、見ていてすごく苦しい公演だったのに、終演後に妙な爽快感があって、

「ああ、これがこの人の人柄なんだろうな」

って思った。

彼に限らず、真っすぐで、素直で、純粋で、いい人の舞台ってのは、見た後に必ず爽快感がある。

だからすごく印象に残ってる。

 

もろフラメンコというものを伝えていきたいのか。その為の公演なのか。

もしくは、フラメンコというツールを使って、自分というものを表現していきたいのか。その為の公演なのか。

きっとこの公演は後者。

だとしたら、この公演は成功なのかもしれない。

 

 

 

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