artistas potenciales
マリアは言った。
Yo no digo “bien” para que seas contenta.
あなた(生徒)をいい気分にさせるために、私はビエンとは言わないわ。
振り付けをコンプリートする方が、こういうフェスティバルでは満足度が高いらしい。
だから、生徒が踊れてなくても振りを進め、程々に、「ビエーン」とか言ってると受けもいい。
アンケートに悪いこと書かれずに済む。
マリアはこれができない。
不器用な先生だと思う。
生徒が踊れてないと、予定してた振りを進めるのを止めて、リンピアールになってしまう。
一週間しかいない生徒に、それも自分の舞台に上げる訳でもない生徒に、よくぞここまで教える気になると感心する。
今日、昨日付いたパソにブラッソが付いたのがあった。
咄嗟にできなかった。
2度目もできなかった。
「ポルケーー、みえ!」と言われ、
「こうでしょ!!!」と注意された。
ブエルタするパソがあった。
初見で振りを取った時は、とりあえず回った。
その後、マリアが踊るのを見てたら、足を揃えて、とてもリンピオに回ってるのが分かった。
それで真似た。
「シー!!!エッソエ!」と言われた。
なんだか、とても有り難く思った。
こういう先生によって、生徒は引き上げてもらえる。
No estáis estudiantes.
Estáis artistas potenciales.
あなたたちは、生徒じゃない。
将来のアルティスタだ。
と彼女は言った。
できてないのにビエンは言えない。
生徒をお客様扱いできない。
フラメンコを教えることはできるけど、生徒をチヤホヤして気分良くさせてあげることはできない。
そんな先生だけど、受け入れて!
というマリアの心の叫びに聞こえる。
先生だって、生徒に受け入れてもらえるか不安なのだ。
気持ちは良く分かる。
それだと厳し過ぎて、楽しくない人はリピートしない。
それが良いと思う人はリピートする。
世の中の人、全員に好かれることは不可能なので、それでいいんだと思った。
それだけのことなんだ。
だから先生って人たちは、自分に真っ直ぐについてくる人に対して、一生懸命になる。
あの手この手で戦略を練るより、素直であることが何よりも勝る。
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