第52回 小松原庸子スペイン舞踊団 『真夏の夜のフラメンコ』
お陰様で無事に終えることができました。
昨日、日比谷野外音楽堂で開催されました、小松原舞踊団公演に出演いたしました。
会場に足をお運び下さったお客様、暑い中のお越しくださいまして、どうもありがとうございました。
長丁場の舞台でしたが、大勢の方々に最初から最後までご覧いただき、温かい声援を送っていただきました。
心からお礼を申し上げます。
教室ライブ(ソロ)の翌日から始まった
今年の4月29日と30日にバリーカで、生徒たちと一緒に教室ライブを開催しました。
あれは、忘れもしない教室ライブ2日目が終わった翌日。
月曜日は私のお休みの日です。
連日のライブ疲れもあり、家でダラダラぼー、ゆっくりゴロゴロしてました。
そこに、庸子先生から電話がかかってきました。
「あ、そう言えば私、2日目のライブの自分のソロが終わった時に、『広い所で踊りたいなぁ』と思ったんだった!」と気付きました。
誤解なきよう付け加えますと、私、タブラオで踊るのも好きです。
ただ、テアトロで踊るのも好きなので、タブラオで踊ってると、「テアトロで踊りたい」と思います。
そんな感じで、「広いところで踊りたい!」と念じたら、翌日に庸子先生から電話がかかってくるという現実に驚き!
生徒が足りない!
電話の内容は、今年の野音出演の話でした。
「生徒さんたちと一緒に出てよ~」ということでした。
そこで例年取り、生徒たちに募集を掛けたのですが、今年は生徒たちの諸々の事情が重なり、出ると言った生徒がたった2人でした。
がーん😓
私の中で消えた野音2023
そのため、「先生、今年の出演は無理っぽいです」とお答えしたところ、「それなら、あなた、ソロにする?ただ、今年はクワドロもなく、それ以外でもソロで踊る人はいない予定なのよぉ〜。群舞だけにするつもりなの。なので、ソロはあなただけになるけど、どう?」と庸子先生はおっしゃいました。
腰が引けた私。
「そんな状況でソロなんて、嫌です。荷が重いです。今年は出ません😭無理ぃ〜」と一度辞退しました。(その後、ドンドン状況は変わっていき、ソロで踊る人が増えていきましたが)
結局、雄輔さんとパレハで出演することに
そうしたら、「誰か男性とパレハはどうか」と提案され、「そ、それならば…」と雄輔さんにお願いしたら、引き受けてくださり、パレハで出ることが決まりました。
で、結局、生徒群舞も出ることに
「今年は生徒ちゃんたち不在の野音か。そんなの初めてだな。ポツーン。寂しいな」と思ってたら、なんとか調整してくれた生徒が2人増え、それで4人になりました。
その4人が踊れる子たちだったので、ならば、「私抜きの4人のペテネーラ群舞はどうですか」と庸子先生にご提案差し上げたところ、オッケーをくださり、成立した群舞でした。
バタとマントンのペテネーラ。
その上、頭にマントンを被って登場。
真夏の暑さの中、照明の熱も加わり、正に命がけで踊りました😅✨
親バカながら、素敵に踊ってくれたと思ってます。
アレグリアス
今回野音で踊るにあたり、私はアレグリアスを踊りたいと思いました。
それを雄輔さんに伝えたところ、私の振りを覚えると言ってくださいました。
私と雄輔さんは、去年の10月の私の舞台でも二人で一緒に踊っていました。
私が雄輔さんの振付を覚え、ソレアを踊りました。
その時は、時間の都合上ソレア・ポル・ブレリアはカットとなったので実際に舞台で踊ったのはソレアだけでしたが、私はソレア・ポル・ブレリアの振付も習っていました。
雄輔さんは忙しそうだし、そんなに一緒に練習する時間も取れなそうだから、お蔵入りした雄輔さんのソレア・ポル・ブレリアのパソとソレアのエスコビージャやブレリアを使ってアレグリアスの振りを作ることにしました。
そして、足りないところだけ私のパソを使いました。
結局、雄輔さんに覚えてもらった私のパソは2~3個だけかな?
6分半という時間制限もあるし、フットマイクの音量があまり大きくない舞台だし、広い舞台なので、細かいパソ、細かい動きはあまり効果を発揮しません。
その代わり、大柄な二人だから、基本のマルカールとフォーメーションで見せることが有効だと思いました。そんなこんなで決まった振付。
6月アルハムブラでの発表会のカンテさんでした。
雄輔さんには6月のアルハムブラでの発表会でカンテさんとして出演してもらっていました。
なので、そのエンサージョの為に、雄輔さんはうちのスタジオにちょくちょく来てくれていました。
わざわざ野音に向けての私とのエンサージョの為だけにスタジオに来てもらうのは気が引けたので、発表会のエンサージョの前に野音の練習を30分程お願いしてました。
それを3回くらいだったかな?
なので、二人そろっての練習って、殆どしてなかったんですねー。
それと、庸子先生に、「一度、見せに来なさい」と言われていたので、庸子先生の稽古場に二人で赴き、そこで1時間、指導を賜った際に踊っただけでした。
始まりは2020年11月の庸子先生の舞台
2020年11月、パンデミック真っ只中の時ではありましたが、この時に庸子先生の舞台があり、私はそこに出演いたしました。
その時に、「雄輔さんと踊ってはどう?背格好も似合うし、いいと思うわ」と言われたのですが、私、雄輔さんとは面識があるものの、「おっかなそうな人」という印象があり、挨拶程度しか接したことがありませんでした。
でも、庸子先生の口添えもあるし、雄輔さんに話を持ち掛けたのですが、その時はお互いにスケジュール的に合わず話は成立しませんでした。
で、結局、その時はソロと生徒たちとの群舞で出演しました。
がっかりなような、ホッとしたような気分でした。
でも、その時に、「いつか庸子先生の舞台で、庸子先生にご指導を賜りながら、雄輔さんと踊ってみたいな」って思いました。
そして、この度、念願が叶いました。
このような機会をくださった庸子先生、
忙しいのにご快諾くださった雄輔さん、
本当にどうもありがとうございました。
夢のようなひと時を舞台上で過ごさせていただきました。
感無量です。
ペテネーラ
生徒たち4人が踊ったペテネーラは、同じく去年の10月の公演で生徒たちが踊った振付を下敷きに作りました。
去年の10月に踊った5人の生徒のうち2人がこの野音には出演しました。
そして、今年に入ってから新たにペテネーラを習った別の2人が加わり、野音群舞が結成されました。
この野音の舞台では、最初7分~8分と制限時間をもらっていたので、10月の公演と同じ振付・構成で行けると思っていました。
ところが、最終的には時間制限6分30秒となり、構成を変更せねばならなくなりました。
『去年の5人』『今年の4人』
それぞれ個性が違います。
そして、舞台のコンセプト、条件も異なります。
今回の4人と庸子先生の舞台に合う演出をしたいなって思いました。
私、こういう群舞を作るの、すごく好きなんです。
ライス・ワークではなく、ライフ・ワークだと思っています。
今回の群舞作りも、とても楽しかったです。
そして、この4人の群舞に関しても、庸子先生から「見せに来なさい」と言って頂いたので、事前にご指導を賜り、ダメ出しをいっぱいして頂きました。
庸子先生の舞台なので、少しでも庸子先生のご意向に添ったものにしたいと、先生の指導に基づき、練習に励んでまいりました。
そうこうして臨んだ、昨日の野音で披露されたペテネーラ群舞でした。
親ばかながら、生徒たち、とても素敵に踊ってくれました。
とても嬉しかったです。
皆、どうもありがとう!
私は、あなたたちのことが誇らしいです。
見に来てくださったお客様、
応援してくださった皆様、
そして、このような機会をくださった庸子先生、
どうもありがとうございました。
また次に向けて精進してまいります。
引き続き、応援の程よろしくお願いいたします。