シンプルでオーソドックスなパソを味わい深く

(01)諸々

小洒落たモデルノの振りや、難易度の高い音の遊びがある振りはとてもカッコいいし、覚えるとそれだけでも充実感があるのですが、実は難しいと思うのは、初心者に教えるようなバシコ(ベーシック)な振りです。

シンプルなもの程、素材が良くないと栄えないから。

飾りがあれば、飾りで誤魔化せちゃうこともある。



だからこそ、フラメンコを始めたばかりの生徒さんにも教えるような、シンプルなマルカールを味わい深く、フラメンコらしく踊れたらいいなって、常々思っております。

きっと、形だけの問題じゃない。

きっと、音の捉え方だけの問題じゃない。

何かがある。

その何かを追求し続ける。

ちょっと前にも同じテーマでブログを書きました。
過去のブログを遡ってみると、1年前も、もっと前も、私はずっと同じことを言ってました。
同じことを言葉を変え、表現を変え、何度もしつこく言い続けています。

セビジャーナスはフラメンコを始めたばかりの生徒さんも習います。
初心者の生徒さんも1年もすれば、振りを覚え、発表会で踊れたりもします。

でも、プロの人が踊ってるのや、先生、先輩がセビジャーナスを踊ってるのを見ると、
「何か一味違う!」
って思いますよね。

要は、振付の問題じゃない。
難しい振付を覚えられるからと言って、上手いとは限らない。

本当に上手な人は、初心者が踊るような振付を踊らせても素敵だったりする。

人は、若いうちは自分に足りないものをドンドン付け足していきます。
でも、ある時期を越えると、年を重ねる毎に要らなくなった余計なものを削ぎ落していく。

フラメンコも同じです。
多分私は、もう余計なものを削ぎ落していく時期にいるように思います。

原点回帰。

年を重ねるということは、かつてできたことができなくなっていく自分を受け入れるってことなんだと、最近しみじみと思います。

若いうちは、『できないことをできるようになること』に我武者羅になっていました。
でも、若さを失った後は、若い頃にはできなかった、『ダメな自分を受け入れる』ということができるようになります。
そうなると、人生は俄然生きやすくなります。

若さは絶対的な価値があるけど、でも、若さを失った後の方が人として生きやすく、喜びを感じやすいってのが、人生の皮肉であり、面白いところ。

先日、同世代の生徒さんたちと、
「若い頃に戻りたいとは思わない。今が一番幸せ」
って話をしました。
皆、同意見ってところが面白い。
絶対的な価値があると信じられている若い頃には戻りたくない。
今の方がいい。

それって、若さは失ったけど、絶対的な価値のある若さに匹敵するもの、もしくはそれ以上のものを今は持ってるってこと。

すごく幸せなことよね。

だからフラメンコも、
「難しいパソができないから、そんな私じゃダメ」
と思わず、
「シンプルなパソを味わい深く踊れる私ってば素敵❤」
と思えたら、無理なく楽しめるようになると思います。
だから、そこを目指したいと思ってます。

フラメンコのいいところは、
若い子には若い子なりの、
若くない人には若くない人なりの、
男性には男性なりの、
女性には女性なりの
フラメンコを踊れるってところにあります。



ということで、テクニカ要素の強いクルシージョがあるというので申し込んでみました。

彼の踊りをYoutubeで見たのですが、余計なものがないし、無駄のない踊りをしてたので、きっといいレッスンになるんじゃなかなって思ったから。


スペイン人のそれも男性の先生のクラスだし、振付、振付となると難しそうだし、ついていけなくて泣きが入りそうなので、それなら止めとこうかと思ったのですが、企画者さんに尋ねたら、
「振付はあるけど、難しいことしないで、シンプルなものをやってもらおう」
ってことだったので、意を決して申込みました。

多少できないところがあっても、できるところだけでもやれたらって軽い気持ちで決めました。

完璧を自分に求めたら、何もできなくなる。

ついでに、スタジオが庸子先生のところなので、馴染があるから行きやすいし。
慣れた場所って、結構ポイント高くない?

ただ、まだ定員に達してないらしく、開催が決定されていないそうです。

ということで、このブログをご覧になってる方、興味あったら一緒に行きませんか?

振付をいっぱい持ってたって、次から次に忘れていくし、教室に所属している生徒さんはその教室の先生がクラスで教えた振りを踊りますよね。
でも、テクニカ的なことなら、どの振りを踊っても役に立つ!


コメントは受け付けていません。