戦争は女が始まり
『戦争を始めるのは男』
というのは、この社会でよく耳にする言葉だと思います。
確かに、男がリーダとなる男社会で男たちが始めるのが戦争です。
タラレバですが、
『女がリーダとなる社会ならば戦争は起きないだろう』
とも言われたりします。
でも、果たしてそれは本当だろうか?
男社会は女の代理社会なのでは…って思ったりする私。
女たちは横の繋がりを大事にし、その繋がりを良好なものとする為に輪を重んじる。
これは間違ってない。
その通り。
ただ、この輪を保つために、『自分の意思を押し殺し、他者に譲る』ということが時に必要となる。
要は、我慢をする。
大勢いれば、うんと我慢する人とそんなに我慢しない人の差が出てくる。
うんと我慢する女を愛する男たちはそれを見て、その女を不憫に思う。
夫であり、恋人であり、父であり、息子であり、兄弟であり、その他、その女を愛する男たち。
彼らは我慢する愛する女を横目で見て、苛立ちを感じる。
その苛立ちは、
「譲ってばっかいないで、相手の顔色を窺ってばかりいないで、輪を保つために自分を犠牲にしてないで、自分を主張しろよ」
というもの。
でも、女たちにはそれが難しい。
そして、女が自分を引っ込め、譲ることで相手に差し出したものを男が取り返しにいく。
戦争は、それが個人単位ではなく国単位ってだけ。
他者から奪い取ってでも、自分のところに戦利品を持ち帰るという男たちの行為は、実はそんな、女たちへの愛から始まってはいないだろうか。
奪い取ったのではなく、奪い取られたものを取り返しに行っただけ。
戦争は、どちらの側も自分が正義だと思ってやってるのはそれ故。
だとしたら、戦争は女が止められる。
男たちに変われと願うのではなく、女たちが変わればいい。
「私の為にそんなことしないで」と頼んでも男を止めることはできないでしょう。
だから、自分を犠牲にするということを止めるしかない。
譲らなければいい。
自分を主張したらいい。
自分の大事なものは死守したらいい。
そうしたら、愛する男たちを戦場に送らないで済む。
個人単位から意識を変えていくしかない。
そうしたら女同士で戦争が始まっちゃう!って思うかもしれない。
でも、それは分からない。
そもそも、譲らないでもいいものまでも譲ってるのかもしれない。
勝手に察して、勝手に推測して、勝手に先回りして、勝手に自分を差し出してるのかもしれない。
女はそれをやる。
相手が望んでもないことを先回りしてやっちゃいがち。
🍀🌸🍀🌸🍀🌸🍀🌸
ふと、今朝目が覚めたらこんなことを思ったのでした。
自分を譲り、自分を犠牲にし、自分の心から血の涙を流させても、それが当たり前になってると、心が麻痺し、その痛みさえ感じなくなる。
だから怒れなくなる。
感じなくなった心では、怒ることもできなくなる。
怒るべき時に、何故か微笑んでしまう。
そうしたら輪を保てるから。
でも、それを見た男たちは悲しむ。
深く悲しむ。
怒りは悲しみの二次表現。
深く悲しむと人は怒りで表現する。
最たるものが戦争。
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笑うとこじゃないのに笑っちゃう人。
殻を破れ!と言われても中々殻を破れず、自分を表現できない人。
踊りは踊りだけ見てても問題は解決しない。
愛する男たちがあなたの為に戦場に行っちゃうよ。ってところと繋がる。