今が小食でも、大きなお弁当箱を用意しておく

(01)諸々

ビジョンありき

大人になると夢というのを中々見ることができなくなります。

自分の身の丈にあった夢しか見れなくなります。


でも、私、これまでのことを振り返ってみると、その時点での私の身の丈に合わない夢でも、描いていたように思います。

「思うだけなら、誰の迷惑もかけないし」くらいの軽い気持ちでした。

そして、描いておくところは頭ではなく心。

今の自分からその夢が叶った自分になるまでの過程とか、そんなものイチイチ考えないで、とりあえず描いておく。

夢とは言い方を変えると将来のビジョンになります。

大きなお弁当箱にはいっぱい入る

今が小食だとしても、大きなお弁当箱を用意します。

大きなお弁当箱なら、少しのご飯も入るし、もっと沢山のご飯も入ります。

でも、最初から小さいお弁当箱しか用意してなかったら、少しのご飯しか入らない。

そして、これはお弁当箱の話ではなく、夢の話です。

身の丈なんて、空想、妄想の世界では考えなくていいって思ってます。

夢を語る

私、子供の頃を振り返ると、あまり集団に馴染めない子でした。

何となく、皆と話が合わなかったんです。

幼稚園の頃から、朝、登園して、保母さんに引き渡され、母が幼稚園を去ろうとすると、幼稚園の門にしがみつき、大泣き&地団駄を毎日繰り返してました。

幼稚園が楽しかった記憶はない。

そして、小学校も中学校も高校も大学も、なんか、馴染めなかったんですよね。

その頃になれば処世術を覚えたので、普通には過ごせましたが、集団は苦痛でした。

遠足とか半分は行かなかったし、行っても苦痛の極みでした。

ところが大人になった今、私はお教室というものを経営し、生徒さんたちを束ね、集団を作ってます。

人生って分からないものですね。

この集団は苦痛ではありません。

子供の頃から周囲とは話が合わないな〜と思って、口をつぐんだ理由は、私が考えてることって、馬鹿みたいなことだったからなんですね。

「言ったら馬鹿にされる。呆れられる。一緒に遊んでくれる友達も引くな…😅」って思い、言えなくなってたんですね。

周りが至極まっとうな人に見えてた。

大人になった今、私は至極まっとうな人であることを諦めました。

そして、言ったら馬鹿にされるようなことも言ってみて、それで馬鹿にされてもいっか。馬鹿バンザイ!ってふっきれました。

「別に団体に所属しなくていい。それで困らないし、集団といても疲れるだけだし」と無理して足並みを揃えることを放棄しました。

そして、私は教室で生徒さん相手に、馬鹿みたいな夢をぽつりぽつりと語ってます。

私の夢に便乗するも、しないも、生徒さんに選択権がある

昨日のクラスでも、兼ねてからの私の夢を2つ、ジャブ程度に語りました。 

まだフラメンコを初めて間もない頃の生徒さんのクラスなので、ジャブ程度にね😊👍

意外と好反応で、

「これは行ける🥳👍✨✨✨✨」

と内心、気分が高揚しました。

このクラスの生徒さんたちは、育つという確信があります。

この子達は大丈夫。

だから、今から私の夢を語ることにしました。

夢は枯野を駆けめぐる

夢は語ることで具現化します。

人生は短いので、さっさとしないとあっという間に芭蕉のこの言葉を言うことになっちゃう。

生徒さんたち、私の馬鹿みたいな話を聞いてくれて、ありがとうね。

私、ドンドン形にしていくので、気になるのがあったらでいいので、私の夢に便乗して、皆さんの夢も叶えてください。

目標は今年のクリスマス。

無理そうなら来年。

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