やっぱり、「何をするか」ではなく、「どうするか」

(01)諸々

初めてこの動画を見た時に、「なんてカッコいいんだろう!!!」と感動しました。
今から15年程前かな~?

それはそれは何度も見た動画です。

当時は良く分からなかったものが今見ると分かってるようになってるので、無駄に15年過ごしてなかったんだなって思いました。
私ってば、えらい、えらい。
誰も褒めてくれないから、自分で自分を褒めちゃう(≧▽≦)

やっぱり Estar

今見ると良く分かるのですが、『振付の難易度』という観点で見たら、この動画の振付はそんなに難しいことをしていません。
多分、動画を見るだけで殆どの振付はコピーできちゃうと思います。
その程度の難易度です。

オリンピック競技とかって、技を競い合うじゃないですか。
フィギャースケートで言うなら、4回転ジャンプが跳べるか跳べないかでメダルの色が変わる。

でも、フラメンコは競技ではなく芸術なんだなって、こういうのを見るとつくづく思います。
振付の難易度で、その踊りの良し悪しや優劣が決まる訳じゃない。

振付の難易度がそれほどでもないから、じゃあ、この踊りはそんなに良くないのか。

否 ですよね。

この動画の女性の踊り、すごく素敵ですよね。
だって、私、初めて見た時に、「うわ!!!」と感動したし、今見ても素敵だと思いますもの。

ということは、
『難しい振付を踊らないとかっこよくない』
でなく、
『難しい振付だとカッコいい』
でもなく、
『振付が難しいのでなくても、カッコいいものはカッコいい』
というのがみそ!

よくよく見ると、エスコビージャもちょっとしかやってない。
ということは、足を長々とやりゃいいってもんでもない。

ガシャガシャと勢いよく激しく踊るだけの踊りでもなく、とても落ち着いていて、でもつまらない踊りじゃない。

こういうのを見ると、「上手いなぁ」って、しみじみ思います。

何をする(Hacer)かではなく、どうするか、どうあるか(estar)

この人の、踊ってる時の状態が素敵なんです。
やってること(振付)が素敵というより、状態が素敵なんです。

姿勢が素敵だったり、醸し出す雰囲気が素敵だったり、表情が素敵だったり、
身体の使い方、サパテアードの音質・速度、音楽の反応の仕方、音楽の流れの作り方、そういうのが素敵なんです。

頭で考える(思考)ではなく、心で感じる(感覚)

これは、頭で考えてできるものではありません。
逆に、頭で考えたら、何もない。

心で感じてるからこそできることのように思います。

久々にこの動画を見て、
「シンプルな振付じゃダメなんじゃなく、振付は関係ないんだな」
って思いました。

私、凝ったことをやるよりも、こういうオーソドックスなフラメンコらしいマルカールが随所にある振付が好きです。
だからこそ、身体にも馴染むし、シンプルな分余白があって、その余白に気持ちを込めれるから。

シンプルな振付はツマラナイ振付じゃない。

その余白に気持ちを込められる素敵な振付だと思います。

あとついでに、衣装も素敵。
シンプルで、そして、この人にとても似合ってる。

火曜夜のクラスは入門クラスですが、セビジャーナスを踊る生徒たちに言いました。

「もう振りは覚えたんだから、状態を上げていこうね。
初心者だけど表現しちゃダメってことはないのよ」
って。
皆ね、そう伝えると表情が変わります。
素敵になります。

振付を青色吐息で正確に踊るのが楽しいんじゃないんだ。
振付という手段を使い、何かを表現するのが楽しいんだ。

明るく軽やかに、表情豊かに踊る生徒さんたちはとても可愛らしく、輝いてました(*^-^*)

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