レッスンを受ける心構え「私なんかの為に…」を止める

(01)諸々

枠の中に子供たちを収め、その中で優劣を競い合う教育。

昭和の教育はこれだったように思います。
枠の中に収まらないと『腐ったミカン』と言われました。

これからの令和の地代は、昭和では腐ったミカンと言われたような人たちが、『個性的な人』と言われるような世の中になるといいなって思います。
そうしたら、枠の中に収まらないことが怖くなくなります。

腐ったミカンにならないように頑張った世代。
「うちの子が腐ったミカンにならないように、何とか枠に収まっててくれるように」と親は焦り、子供が何とか枠に収まったかと思えば、枠からはみ出ないように、枠の中の『劣』にならないようにと神経を尖らせててました。

足を引っ張ってないかが気になる

この時代の教育の弊害は、大人になった今も生き続けています。

「私に注意する為に他の人を待たせておいたりしないで、先生、私なんかのこと構わずに、どうかレッスンを続けてください(涙)」
と気にする生徒は多いように思います。

皆、足並みを揃えたがります。

優秀な子は出る杭になるのを恐れ、そうでない子はマジョリティの足を引っ張るのを恐れます。
「皆同じ」が心地よい。

他の人を待たせて、一人の人に対し注意をするなんてことは、レッスン内では当たり前にあります。
例えば、ある生徒が皆と踊ってても、見るからに違ったようにゴルペを打ってたとします。
そこで先生は一旦皆でやるのを止め、一人の生徒に「ゴルペを打ってごらん」と言い、その生徒はゴルペを打ちます。
そうしたら、案の定、変てこな音が出てました。
そこで、「それは叩き方が悪いからだよ。こうこうするといい音が出るよ」と先生は指導します。
で、また、「それを意識しながら、注意しながら、もう一度ゴルペを打ってごらん」とその生徒にやらせてみます。
その一連のやり取りを他の生徒は見守ってます。
でも、他の人たちも、その人が注意されているのを我がことと思いながら見ているので、他の人たちにとっても役に立ちます。

例えば、こんなことです⇑
これ、そんなに気にすることじゃありません。
でも、
「足を引っ張ってしまって、すみません」
と気にする人は気にします。

気にしてしまう人に対し、「気にしないで」というのは焼石に水なのですが、「気にしないで」以外の言葉が見つかりません(^-^;

そもそも、一人の人だけを構ってしまうことで他の人を退屈にさせてしまってないか考える責任は、先生にあります。
その生徒さんが気にすることじゃない。
先生が気にすることです。
皆にとっても役に立つことだから、一人の生徒さんをサンプルにして指導してるだけです。
皆ができてて、一人の人だけができてないのだとしたら、その生徒が萎縮する程、他の人を待たせてまで指導しません。
別の形でフォローします。
だから、緊張しないで、気持ちゆったりと指導を受けてください。
申し訳なさそうにする人には、こちらも気の毒になってしまうので、中々注意ができなくなってしまいます。
それって生徒にとっては損ですよね。
で、きっとそういう子は、注意されなければされないで、「私は先生に好かれてないから。○○ちゃんは可愛がられてるから」と気にするんじゃないかと思います。
だーかーらー、そうじゃなくって(^-^;。

愛を受け取ってね

では、こういう風に考え方を変えてみては如何でしょうか。

先生が生徒に対し、
「これ、直してあげたい!教えたい!」
と思うのはその生徒に対する『愛』ですよね。

そもそも、皆の足を引っ張るようなことでもないのに、
「私なんかに構わず、レッスンを続けてください。皆の足を引っ張りたくありません」
と考えるのは、先生の愛を受け取らないということです。

とっても寂しいですね。

どうか受け取ってください。

恐縮しながらじゃなく、ゆったりとした気分で、
「先生ったら、私のこと可愛いから目をかけてくれてるんだわ」
とルンルン♪と受け取ってください。

顔に出ます。表情に出ます。空気感に出ます。

レッスン内で一人の生徒だけに「ここはこう」と指導したら、うつむいてしまい、モジモジしてしまう人もいれば、「あ、本当だ!こうなんですね!分かった♪」と明るくケロっと指導を受け取る人もいます。

私は同じことしてるだけなのに、こうも反応が違うのかと面白いものです。

前者の人は、顔の表情も暗いし、醸し出す空気も重い。
後者は、顔の表情も明るいし、空気も軽やか。

私にとっては、どっちでもいいんです、その人がどうであるかは。
別に意地悪されてる訳でも、嫌がらせされてる訳でもないので、
「ああ、そういう人なんだな」
で終わります。
ただ、前者の人は少し可哀想に思えてきます。
そんな風に感じるんじゃ、苦しいだろうにって思ってしまいます。
だから注意しにくく感じてしまいます。

「私なんかの為に、すみません(恐縮)」
「足を引っ張ってないか心配」
と思った瞬間に顔の表情は曇ります。

後者のようにレッスンを受ける方が楽ですよ。
「どうせ私なんか」を止めたら、明るく雰囲気をまとい、軽い空気感の中でレッスンを受けれますよ。
そうしたら、心も軽く、気分も晴れやかになり、レッスンを受けるのがもっと楽しくなりますよ。
色々なこともプラスのスパイラルに入るのではないかと思います。

「私のことを気に掛けてくれて、ありがとうございます!(るん)」

これに心構えをチェンジしていってください。

明るく軽やかな気分でいると、いい未来を引き寄せる。
既にある愛情をもっと受け取れるようになる。

いっぱい指導を受けれて、早く上手くなれるかも!

是非ご参考になさってください。

人生も、レッスンも、
「何をどうするか」
じゃなく、
「どういう状態であるか」
で行く先が変わるように思います。

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