騙されたと思って、やってみ
複数の生徒さんにレッスンを付けていると見えてくるものが色々あります。
その中の一つに、
「同じことを言っても、受け取れる人と受け取れない人がいる」
「同じことを言っても、その指導を有効に使って自分に活かせる人とそうでない人がいる」
ということがあります。
「さて、その違いは何なんだろう。
指導を最大限に受け取れたら、生徒にとって得になるのに…
どうしたら、最大限に指導を受け取れるようになるんだろう」
って生徒さんを観察し、分析し、考えること10余年。
脳内変換の違い
例えば目の前に年頃の女の子がいるとします。
皆さんの娘さんです。
お化粧もせず、素のままでいます。
自分の子だし、年頃の娘なので、何もしないでも十分可愛い。
その子より人生を長く生きてきた母なるあなたは、その子よりちょっとお洒落の仕方を知っています。
「イヤリングを付けたらもっと可愛くなる」
「スカーフを巻いたら、素敵になる」
「リップはピンク系がこの子には合う」
「肌はそのままでも綺麗だけど、チークを少し塗ったらお顔が華やぐ」
と母なるあなたは思い、娘に「イヤリングも付けてみなよ」等々言います。
この時のアドバイスは、
「今のままでも十分可愛いけど、でももっと可愛くなれるよ」
というものですか?
それとも、
「可愛くないんだから、少しは可愛くなるように、どうにかしなさいよ」
というものですか?
自分虐め
これ、レッスンでも同じことが言えます。
レッスン中、クラスの皆に同じことを言っても、
「先生はもっと良くなる為に指導してくれている」
と捉える生徒と
「ああああああ、やっぱり私、ダメなんだ。できてないんだ。
わぁぁぁぁ、このままじゃ出来損ないって思われちゃう。
何度教えても全然できな子って思われちゃう。
不甲斐ない私。
能力のない私。
どうして皆が簡単にできることが私にはできないのぉぉぉ」
と捉える生徒がいます。
これは心の中で生徒が私の言葉を勝手に変換し、自分自身に対してやっていることですので、あくまで私の推測に過ぎませんが、でも当たってると思います。
その様子は一目瞭然だからです。
私の発した言葉の意味は、私しか知り得ません。
だから、皆、その言葉の真意を推測し、勝手に脳内変換しているだけ。
先の例で言えば、
「イヤリングもしたらもっと素敵になるよ」
としか私は言ってないのに、
「私、いけてないだから、せめてイヤリングしとけって意味なんだわ…(◞‸◟)」
って脳内変換する生徒もいれば、
「イヤリングを付けたらもっと可愛くなっちゃうよ、あたし♪」
と変換する生徒もいるということです。
「もっと上手くなる為に言ってくれてる」
とポジティブに捉える子は、スポンジが水を吸い込むように、その子のその時点での能力に見合った分の指導を全て受け取ることができます。
一方の、注意をネガティブに捉え、『自分虐め』に走る子の場合、石が水を吸い込まないのと同じようになります。
そうなんです。
自分で自分を虐める人は、心を萎縮させ、身体も緊張させ、思考にばかり頼り過ぎ、本来なら感覚がとても大事な芸事であるにも関わらず感覚を麻痺させてしまうので、他人の言葉を受け取る余裕がなくなります。
心が萎縮した状態では本領発揮できない
私は子供の頃、左利きでした。
母も左利き、母方の祖父も左利きだったので遺伝だったのでしょう。
父は子供の頃はかなり厳しい人でした。
昔の人にとって左利きは邪悪なものでした。
私が幼稚園に入るか入らない頃から、
「おまえが左利きだから、おまえの家系が左利きだから、美恵が左利きになっちゃったじゃないか」
と父は私の前で母を叱責し、母を泣かせていました。
そして、私が食事の時に左手を使おうものなら、父は箸を置き、食事を止め、腕組をし、じっと私の手を睨みつけるのでした。
4~5歳の女の子です。
大人の男の人は怖い。
その上、父は警察官。目つきが鋭い。
私は犯人扱いされました。
慣れない右手で食べるご飯の味のしないこと。
生きた心地がしないこと。
まだ子供なので、利き手で食事したってこぼすことはありますが、当然ながら利き手じゃない方で食べてるのでこぼしてしまいます。
まだおかずや白米をこぼす分にはいいのですが、よりによって味噌汁をこぼすんです、私ったら( ;∀;)
母と私の慌てようったら、ありゃしない。
当然ながら私は家の外に放りだされます。
泣きながら謝っても家にはしばらく入れてもらえません。
すき焼きの日に肉を食べずに野菜しか食べないって理由で、3、4歳の娘を裸足のまま家から放り出す位の親だったので、左手を使うことや粗相をすることは重罪です。
母にはゲンコツで殴られます。左利きの母は左手が出ますので、左薬指にした結婚指輪が殴られる時に頭に当たって痛いんだ😅
昭和の躾はハードですね。
でも、父と一緒に食事しない時にはこぼさないんです。←これポイント
自分虐めを止めるしかない
脳内でネガティブ変換する生徒さんたちは心の中で、父が私にしたようなことを、ご自分に対ししています。
私がしているんじゃないんです。
ご自分がご自分に対してやってます。
同じように言われても、平常心で萎縮しない生徒もいることが、これを証明しています。
自分が自分を罰する。
自分が自分の誰よりもアンチになる。
他人からは逃げれても自分からは逃げれません。
だから、萎縮するんです。
だから、頭が真っ白になり、指導を受け取ることができないんです。
だから、ミスするんです。
ミスしなくなる方法、指導を余すところなく受け取れる方法、
それは、心の中の自分虐めを止めることです。
先生の指導をネガティブに脳内変換しないことです。
先生の注意を落ち着いて聞くことができ、さらっとやってのけることができるあなたのお隣のクラスメイトは、あなたと比べて能力が格段に高い訳じゃありません。
そういう子たちは、自分虐めをしないので、自分を萎縮させずに済んでいます。
「あの子は能力ある。
それに比べて、私は能力が低い。
だから、その子の何倍も頑張らなきゃならい」
と思うのも、これも自分虐めです。
卑下し過ぎです。
入門クラスは別として、それより上のクラスはある程度レベル分けできるように、私は生徒さんを誘導していますよね。
「あっちのクラスに移動した方があなたにはあってるよ」
って感じで、クラス替えを提案された生徒さんはいっぱいいますよね。
ということは、同じクラスにいる以上、得手不得手の差はあったとしても、総合力では大差がないってことです。
クラスを変わってすぐは多少の差があったとしても、1年もすれば追いつくと思ってるから進級を勧めたのです。
自分を卑下することは自己否定です。
自己否定は自分虐めです。
頑張り過ぎないでいい
練習することが楽しいなら頑張ればいい。
でも、
「私、頑張らないとちゃんとできない」
という自分虐めからくる頑張りならば、自主練とか一旦止めてみたらいいです。
それで、「そんなに頑張らないでも私、大丈夫」って思ってみてください。
あなたの中の何かが変わるかもしれないですよ。
どんな理由であれ、皆さんがうちのスタジオを沢山使ってくだされば、私にとっては商売繁盛でよろしいことの筈ですが、でも生徒が自分虐めの為に練習しているのだとしたら、そんな繫盛はちょっと違うな。
そういうのを求めてない。
心に熱を取り戻させる
「私、ダメダメだからいっぱい練習しないと覚えられない」
「こんなに練習してるのに、なのに先生の前に出ると振付がすっ飛んでしまって、ミスしてしまう。
だから、もっと練習しなきゃ!!!」
って練習すればする程、心が凍り、麻痺していきます。
そんな自主練を少し止めてみ。
そんで、ダラダラしてみな。
「レッスン中も、できなきゃできないでいいや」って、かるーい感じでいてみ。
今はそんなに張り詰めた舞台を控えてないので、今がチャンスです!
張り詰めた気持ちを少し緩めたら、ミスしなくなるかもしれないですよ。
そんで、自主練をそんなに頑張らないでも、振付も覚えられるかもしれないですよ。
ダラダラして、それでもオッケーって分かってくると、凍った心が少し溶けてきます。
そして、心に熱が戻ります。
そうしたら、また、自主練したくなる。
そういう時の自主練は、「楽しいからやる」ってものになります。
そういう練習は身になります。
先生の前でも、萎縮せず、振付のド忘れもなくなり、ミスも減りだします。
2つだけ残った左利き
おっかない父の目から逃れるように、2つだけ私に残った左利きがあります。
1つは、パルマ。
もう1つは、針に糸を通すこと。
左利きが悪い訳じゃない。
左利きに生まれた私が悪いんじゃない。
大人になった今なら分かることです。