裏腹。愛してるけど会わない
今宵は家のパソコンで映画を見てました。
先日、バットマンのスピンオフである『JOKER』という映画を見てたのですが、ジョーカーがあまりにも可哀相すぎて、苦しくなって3分の1程で断念してしまいました。
悪い映画、つまらない映画ではなかったのですが、救いのない闇深さに私のハートがギブアップしました。
ということで、今日は悲しみや不幸の中にも希望を忘れないのを、お口直しとして見ました。
日本のアニメ映画です。
アニメが子供のものだったのは遠い昔ですね。
日本のアニメ、秀逸!
言葉にできない想いを感じる
「言葉にも、態度にも、気持ちにも、
裏と表があって、
目に見えるものが
全てではないのだと
少しずつ分かってまいりました。
でも、本当の気持ちは
伝えなければ分からない場合も
多いものです」
主人公の台詞です。
まだ文字を書けない人が多くいた時代、代筆を生業とする職業がありました。
主人公はその代筆を仕事とする女のコで、色々な人が手紙をしたためる際に、その人の表の言葉と想いの裏側を垣間見てきました。
そして、主人公の相手となる男性は、
「自分では彼女を幸せにできない」と、
「彼女を不幸にしてしまう」と、
「今のカッコ悪い自分では彼女に会えない」と、
彼女を愛するが故に、
彼女と会うことを避けてしまうのでした。
多分、何とも思ってない人となら会えた筈。
もちろん彼女は大泣き。
彼も裏で大泣き。
「だったら会えよ!」とパソコンの前の私も大泣き。
裏腹
言葉にできない想い
それがテーマでした。
でも、言葉は嘘をつけます。
「愛してる」なんて言葉は、まっとうな愛をくれる男は、そう簡単には言わないことを、いい歳した私は知ってます。
主人公も気付きます。
「会えない」という言葉の裏に、「愛してる」があることを。
「愛してるから会いたい」
「嫌いだから会いたくない」
とは限らないのが人間の難しいところ。
でも、言葉では嘘をつけても、態度はごまかせない。
やっぱり想いは滲み出ます。
言葉にできない想いを伝える
フラメンコの踊りは、言葉の代わりに身体を使い、想いを伝えます。
身体を使って想いを伝える。
↑
これです。
この為に、振付を習い、テクニカを磨くってことをしてます。
決して舞台で、振付を正確に踊れるようになったのを披露する為に踊る訳ではありません。
映画も、芝居も、ミュージカルも、音楽も、絵画も、彫刻も、芸術ものは想いを伝えます。
そして、発信者の世界観を伝えます。
スキルは想いや世界観を伝える為のものです。
手段であって、目的ではありません。
言葉にはできない想いを踊りに託せたらと、映画を見ながら思ったのでした。
フラメンコの踊りは、もちろんフラメンコの踊りを練習したり、沢山見るのも必要。
だけど、感性はそれだけで磨けるものではない。
心を動かす色々なものに触れていけたらと思ってます。
強さを手に入れることじゃなく、弱さを受け入れることが本当の強さ
最後に主人公と彼は再会を果たします。
「彼女を幸せにできないから」
「彼女を不幸にしてしまうから」
と彼女と会うのを避けていた彼ですが、実はこれも言い訳でした。
本当の理由は違う。
彼女を幸せにできない不甲斐ない自分を自分が受け入れることができなかったから、そんな自分じゃ恥ずかしくて彼女の前に出て行くことができなかったのでした。
カッコいい自分で彼女に会いに行きたかったんですね。
男子あるある。
でも、最後の最後に彼は、そんな自分の弱さを受け入れ、彼女の元に走ります。
本当の強さというのは、
「彼女を幸せにできる」程の能力・強さを持ったスーパーマンになることではなく、
「彼女を幸せにできない」不甲斐ない自分の弱さを受け入れることだったですね。
私たちも、
「〇〇ができるようになったら自信が持てるのに」
「私が△△のようだったら、堂々と顔を上げて微笑めるのに」
「立派な自分にならなければ」
と思ってしまいがちですが、実はこれは言い訳で、
だって、立派な自分になれる日なんて一生来ない。
そうじゃなく、ダメなところも、できないところも、弱いところもある、今のままの自分を受け入れることが本当の強さだったりする。
この強さは、舞台に立つ人間には必要だと私は思うのでした。