舞踊団公演5曲目:ガロティン
ガロティン(ヘンリー8世と三番目の妻ジェーン・シーモア)
男の世継ぎも生まれず、ヒステリックでわがままなアンにうんざりしていたヘンリーに、シーモア家は娘のジェーンを近づけさせ、ヘンリーの寵愛を受けさせようと画策しました。
この時代の貴族にとって娘は政治の道具でした。
娘が国王の寵愛を受ければ、一族の宮廷での地位は格段に上がったからです。
大人しい性格のジェーンは恐れ多いとヘンリーを拒みますが、親兄弟に逆らうことはできず、更にはアンやその侍女たちから嫌がらせを受け、最初はつらい日々を送ります。
そんなジェーンですが、一つだけヘンリーに強く懇願したことがありました。
それはキャサリン・オブ・アラゴンの娘、メアリー王女のことでした。
メアリーはアンを王妃と認めることを拒否し、逆上したアンに娘のエリザベスの侍女に身を落とされていました。
メアリーのことを不憫に思っていたジェーンは、メアリーの王女としての権利を復活させるようヘンリーを説得し、親子が和解するよう心を砕きました。
ジェーンのお陰で、宮廷は家庭的で明るく穏やかなものとなっていったのです。
そして、ジェーンは待望の男児を出産するのでした。
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イングランド史上最高にヤバい王様、ヘンリー8世の鬼畜の所業は、ヘンリーのものすごく強い責任感から来たものかもしれない。
価値観や常識というものはとっても厄介。
国や地域、世代、時代によって様変わりするものの、その人にとっては絶対のものだったりする。
この部分だけをクローズアップされたら誤解を受けるかと思いますが、誤解を恐れずに言うと、「常識を重んじること」「大多数の人に支持される価値観」を私はたまに疑問に思います。
「責任を全うする」というのはとてもまともな常識で、誰もがあって然るべきで、正しいことと思うのだけれども、どのような価値観や常識を元になされるかによっては、それが必ずしも幸せと繋がるとは限らない。
ヘンリーにとって、「国王は世継ぎを設けるもの」「世継ぎは男児であり嫡子」というのが常識で、それが彼の責任を全うすることでした。
そして、「一夫一妻」「離婚は認めない」はキリスト教の価値観で、ヘンリーもまたこの価値観に縛られていました。
一夫多妻がダメなキリスト教の影響を受けたので、妻は一人しか持てなかった。
今いる妻がもう生殖能力がなければ、離婚せねば新たな子供を設けることができない。
でも、ここでまたキリスト教の価値観が邪魔をする。「離婚はNG」。
だから、最初の妻は、「そもそもが結婚が無効だった」と主張した。
二番目の妻は、「死んでくれたら次の妻を娶れる」と処刑した。
もう、現代に生きる私たちからすると、ダメ出しオンパレードの価値観と常識ですね。
でも、このように常識や価値観は絶対ではない。
日本のように、正妻から生まれた嫡子でもなくても、側室から生まれた庶子でも後継者になれたならば、正妻と別れる必要もなかったし、ましてや殺害する必要もなかった。
「後継者は男児」という拘りを捨ててれば、最初の妻との間にメアリーがいたのだから、離婚する必要はなかた。
そもそも、「後継者は自分の子」という拘りを捨ててれば、兄弟等の子供を後継者に任命することもできた。
ヘンリーが、絶対ではない「価値観」や「常識」、そして「自分の拘り」を捨られず、既に自分の周りにいた人たちとの「愛」や「幸せ」を選べなかったことが、彼を苦しめる原因だったし、周囲の人をも不幸にしたにだと私は思う。
家族の絆。
血の繋がり。
婚姻関係。
これらに絶対的な価値を見出す常識。
「これらは、しがみついて絶対に手放せない程の常識ですか?
そんなに価値がありますか?
これらが必ずしも、あなたを幸せにしてくれますか?
むしろ、これらが苦しみの原因となり、あなたを不自由にさせ、幸せに生きることを阻んでいませんか?」
とヘンリーに問いたい。
そして、その問いは、自分にも向けられる。
男女が愛に似たものを愛と錯覚して結婚してしまい、しばらくの婚姻生活の後、二人の間にあるのは愛ではなく依存や執着だったと気付き、お互いが然るべき別の相手と一緒になった方が幸せだと悟ったのであれば離婚はありだと私は思う。
「最初の結婚相手と何がなんでも婚姻関係を継続させ、死が二人を別つまで一緒にいるのが最高!」っていう価値観を私は持っていない。
別れを選んだ方が幸せになれるなら、それもあり。
「でも、子供がいるから」というのに対し、私は親になったことがないけど、子供であったことはあるので、子供の立場からなら言える。
親が幸せでなければ子供は幸せじゃない。
愛に似た執着や依存に縋りつき、常に不安にさいなまれている親を見て子供は心を痛める。
「離婚しないで父母が揃っていたら子供は幸せ」というのは親の価値観でしかない。
ただ、ヘンリーの離婚と再婚の理由が愛じゃなかったところに問題あり。
ヘンリーも二番目の妻アンも、とってもドロドロした価値観を持っていた。
故に、破綻した。
でも、この三番目の妻ジェーンは、私は見事だと思う。
愛に生きた。
ジェーンは、ヘンリー最初の妻キャサリンの侍女として宮廷に仕えていました。
ヘンリー二番目の妻アン・ブーリンも同じく、キャサリンの侍女でしたが、その頃からもうヘンリーはアンに夢中でした。
離婚を承諾しないキャサリンに冷たく当たるヘンリー。
まるで王妃のように振る舞いキャサリンを侮辱するアン。
そんな仕打ちを受け、傷ついたキャサリンに、ジェーンは心から同情していました。
そうこうしてたら、ヘンリーとアンの中は冷えてゆき、次なる白羽の矢はジェーンに当たりました。
ヘンリーの三番目の妻になるの、ジェーン、嫌だったろうな・・・・って思わずにはいられません。
でも、昔の貴族の娘は、政略結婚を拒否できなかったんでしょうね。
親兄弟が結婚しろって言った相手と結婚しないで生きて行く術を持っていなかったから。
渋々ながらなのか、大人しい顔しておきながら、「大魚が釣れた!」と内心ガッツポーズだったのかは分かりませんが、ジェーンはヘンリーを受け入れます。
もしかしたら、ヘンリーとの結婚生活を送り始め、ジェーンはヘンリーが背負っている国や国民に対する責任の重さに気付いたのではないかと思います。
愛に生きたくても、愛に生きるなんて甘っちょろいことを男が、それも国王がやってられない。
それじゃ、責任を果たせない。
例え、それがヘンリーの幸せを遠ざけることであっても。
ジェーンはヘンリーを苦しめている、ヘンリーの拘りや価値観、常識からヘンリーを一つ開放させました。
キャサリンの娘メアリーの王女としての権利を復活するよう説得したのです。
そして、アンが処刑され、母を失ったエリザベスも引き取り、ヘンリ―とキャサリン、メアリーとエリザベスとで穏やかな家庭を築くべく尽力したそうです。
これが常識。
これが絶対的な価値観!
というものがあったら、一度、疑ってみるのもいいかもしれません。
そして、「自分やその周りの人を幸せにしない常識や価値観、拘りは捨てる」って検討する位はしてみてもいいのではないかと私は思います。
血縁であったヘンリーよりも他人のジェーンの方が娘の幸せを願い、行動した。
血は水よりも濃いのは確かだけど、それと幸せはイコールとは限らない。
責任、常識、価値観、拘りでがんじがらめになったヘンリーと、それを一段上から俯瞰し、温かく包み込むジェーンが、侍女たちを伴いガロティンを踊ります。